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東京地方裁判所 昭和28年(ワ)9044号 判決

原告 染川清

被告 長島梱包株式会社 外一名

主文

被告らは原告に対し、各自金二十九万四千五百五十二円及び昭和二十八年四月二十四日から右支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求は棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その四を被告らの負担、その余を原告の負担とする。

この判決は原告勝訴の部分は、原告において、被告らのために、それぞれ、金五万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事  実〈省略〉

理由

被告中屋が昭和二十八年四月二十三日午後五時五十分頃、被告会社所有のオートバイを運転して走行中に渋谷区公会堂通り二丁目二十六番地先道路上において原告に衝突し、これにより原告が負傷したこと(以下これを本件事故と称する。)は当事者間に争がない。

しかして、右当事者間に争いのない事実に証人正田孝、遠藤英一、前田由一の各証言、原告および被告中屋各本人尋問の結果ならびに検証の結果(ただし、証人前田由一の証言および被告中屋の供述については後記措信しない部分を除く。)を総合すると、(一)被告中屋は昭和二十八年四月二十三日午後五時五十分頃、無免許で気筒容積二五〇CCのオートバイを操縦し、渋谷区公会堂通りを国電渋谷駅方面から国電恵比寿駅方面へ向け同町二丁目二十六番地先にさしかかつたところ、同所附近において、右道路は人道車馬の区分なく、幅員約五、五米でゆるやかに左にカーブしているが見通しは充分であり、同被告は道路の中央からやや左寄りを時速約二十粁で進行したが、たまたま進路上にマンホールのふたが路面より高く浮き上つていたので、これを避けて道路中央の右側を迂回し、マンホールをまわつて再び旧進路に復した途端、右マンホールから十数米前方の道路左端西牧氷店前の電柱に接して同店所有のオート三輪車(幅一、五米)が恵比寿駅方面に向つて駐車しており、その後方を原告が同一方向に歩行し、右オート三輪車の右側に出ようとしているのを発見したので、警笛を鳴らす余裕もなく、急拠、ハンドルを右に切つたが間に合わず、ハンドルが原告に触れて原告はオート三輪車後方に転到し、オートバイは半回転して右オート三輪車の右側にテンプクし被告中屋は同所に投げ出されたこと、(二)同時刻は夕刻ではあつたが未だ明るく、同被告は右オートバイの前照燈を点燈するに至つていなかつたこと、(三)原告の前方約二米のところを訴外正田孝、同遠藤英一が同一方向に歩行しており、右訴外人等も前記西牧氷店所有のオート三輪車を避けてその右側を迂回しているときに被告中屋のオートバイが原告に衝突し、右訴外人等の横をかすめてその斜前方にテンプクしたものであることを、それぞれ認めることができるが、証人前田由一の証言中原告の進行方向に関する部分は伝聞に属するものであつて前掲各証拠に照らして措信できず、被告中屋の供述中右認定に反する部分も同じく措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、凡そ自動車オートバイ等を道路上で運転するものは、常に、他の車馬および通行人に細心の注意を払い、他人の生命身体財産に危害を加えることなきを期して、交通の安全を計りつつ操縦しなければならない注意義務を負うことはいうまでもない、しかるに被告中屋は前方道路上に浮き上つているマンホールの蓋に気をとられて、そのマンホールより十数米先きに停車中のオート三輪車の手前を歩行中の原告の所在を確認し得ず、原告に追突したものであつて、このような状況にあつては運転手たるものは右オート三輪車の後方を歩行する者がその右側に出てくることは当然豫想し得るところである(現に訴外正田、遠藤がその右側を通行しているのである。)から、警笛を鳴らし、もしくは自車の速度を減じ、進路を変更する等その衝突を防止するための手段をつくすべきであるのに、現場はまだ明るく、見通しも良好であるにも拘らず、原告の直後に迫つてはじめてこれに気付き、ハンドルを切る余裕もなくこれに衝突させたものであるから、右事故による原告の負傷は被告中屋の運転上の過失に基因するものといわざるを得ない。

ところで被告会社は、本件事故は被告中屋が被告会社の事業の執行につき生ぜしめたものでなく、勝手に被告会社所有のオートバイを運転した結果によるものであると主張するからこの点につき考察するに、証人長島子之吉及び渡辺昭寿の各証言ならびに被告会社代表者長島国治及び被告中屋の各本人尋問の結果を総合すると、被告会社では渋谷区代官山町の藤竹産業株式会社(以下藤竹産業という。)より梱包を依頼された藤の応接セツトを受領するため、昭和二十八年四月二十三日午後五時頃、被告会社の従業員である被告中屋ほか数名がトラツクに乗つて藤竹産業に赴いたが、前記応接セツトが完成していないため、同所で相当時間待たされる結果となつたところ被告会社ではトラツクの帰りが遅いので被告会社従業員長島子之吉が被告会社備え付けのオートバイに乗つて様子を見に行き、右オートバイを藤竹産業の表側入口に(鍵をさしこんだまま)放置して中に入り、応接セツトの完成を見ているうち、オートバイの運転免許を有しない被告中屋が好奇心から右オートバイを無断で運転して走り出し、藤竹産業から被告会社の方向へ約四、五分(約四百米、同地点から被告会社まで約五百米)走つたところで本件事故を惹起したこと、および右オートバイは被告会社がその業務用に使用するために備え付けたもので、特定の社員の専用ではないが、免許証を有するものが随時(担当者の監督のもとに)使用することとなつていたことをそれぞれ認定することができる。証人渡辺昭寿の証言中、本件事故は藤竹産業から被告会社への帰途惹起されたものであるとの点は前掲各証拠に照らして措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右事実関係に徴すると本件オートバイの運転は純然たる被告会社の業務自体のためでなく、また被告会社のオートバイ取扱いの内規に反してなされたことが明らかである。しかしながら民法第七百十五条にいわゆる「業務ノ執行ニ付キ」とは、被用者がその担当する事務を適正に執行する場合だけを指すのでなく、単に被用者が客観的に当該職務の範囲に属すると認め得る行為をし、しかもそれが被用者の守るべき内規又は指揮命令に違背してなされ、あるいは自己の個人的目的を達するためにその地位を濫用してなした行為であつても、その結果第三者に損害を加えた場合、その侵害行為はその事業執行につきなされたものと解するのを相当とし、使用者に損害賠償義務を負わせるものとするのが、現行法の精神であると考える。

本件においては、被告中屋は被告会社の業務の執行の為に藤竹産業に赴き、その際に、被告会社所有のオートバイを勝手に運転して本件事故を惹起したものであるが、このような場合同被告が、被告会社へ連絡に帰ることはその担当する職務の範囲内に属すると認められるところ、右オートバイ運転行為を外形的に見れば、私用のための運転であると、又藤竹産業から被告会社へ経過報告に帰るための運転であるとその間別段の差異あるものでなく、(被告中屋が無免許であり、被告会社からオートバイの使用を許されていなかつた事実も右の見解にてい触するものではない。)被告中屋の惹起した本件事故は被告会社の事業の執行につきなされたものと認めるのが相当であり、従つて被告会社は被告中屋の使用者として、本件事故により原告の蒙つた一切の損害を賠償すべき義務があるといわなければならない。

よつて損害の数額について審究するに、当事者間に成立について争いのない甲第一号証から第三号証、第五号証、原告本人の供述により真正に成立したものと認める甲第六号証、証人染川たきの証言により真正に成立したものと認める甲第七号証および証人遠藤英一の証言に照らして真正に成立したものと認める甲第四号証証人遠藤英一、染川たきの各証言、および原告本人尋問の結果ならびに本件口頭弁論の全趣旨を総合すると、原告は本件事故の直後都立広尾病院に入院して治療を受けたが、当時左第四、五、六、七肋骨亀裂骨折左前額部擦過傷、左臀部下腿打撲傷で昭和二十八年五月十日まで同病院に入院し、更に右腰部挫傷のため同年六月一日から七月二十日まで名倉病院に通院加療し、又同年六月二十五日以降頭部外傷后貽症治療のため東京大学医学部附属病院脳神経外科に通院治療を受け此の間昭和二十九年二月末日まで勤務先日本冷機株式会社を欠勤し、同年三月四日は隔日出勤し、五月以降平常出動に復したところ、結局病院費として健康保険による給付を除き、広尾名倉、東大各病院の初診断(各五十円)計百五十円、診断書各二通(一通百円)計六百円、自宅治療費として昭和二十八年五月十一日から同月三十一日まで湿布薬ガーゼ、ホータイ、油紙等計千五十円、同年六月二日から八月三十一日まで氷ノウ氷枕および氷代計千八百円のほか、頭痛薬複合ルチンコーア剤、頓服薬計六百円、栄養食費として同年四月二十三日から九月三十日まで、卵、牛乳、バター、果物等計二万四千百五十円、交通費として同年四月二十三日から五月十三日まで広尾病院関係で計九百円、同年六月一日から十五日まで名倉病院関係で計九百八十円、同年六月二十二日から九月三十日まで東大病院関係で計二千九百五十円を支払つたほか、本件事故により使用に耐えなくなつた洋服代八千円、抱鞄代三千円、昭和二十八年四月二十三日から同年九月三十日まで諸雑費五千円、以上総計五万百円の積極的損害を蒙り、又原告は昭和二十八年四月まで、日本冷機より手取り一万二千八百七十一円の給料を得て居り、翌五月より二十九年二月まで十ヶ月間は本件事故による負傷のため日本冷機に出勤できなくなり、その間休職の取扱いを受け、給料十ヶ月分合計十二万八千七百十円の支給を受けられず、昭和二十九年三月四日は各五千円ずつの支給を受けたのみであつて結局昭和二十八年四月一日から昭和二十九年三月三十日までに合計十四万四千四百五十二円の得べかりし利益を喪失した外、原告は本件事故による頭部外傷に起因して生じた脳損傷による症状として、目まい、吐気、灼熱感が未だ去らず、現在も治療を続けており、原告は本件事故当時三十五才の健康体男子であつて家庭には子供はないが当時二十六才の妻があり、精神上肉体上相当の苦痛を蒙つたことをそれぞれ認めることができ、乙第二号証によるも右認定を左右するに足らず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。しかして、原告の年令、職業、家庭生活の状況、負傷の程度に、その他諸般の事情を考慮するときは、原告が本件負傷により蒙つた精神上の苦痛に対する慰藉料は金十万円が相当であると認められる。

そこで被告等の過失相殺の抗弁につき判断する、前示認定のとおり本件事故の発生した道路は車道歩道の区別もない五米位の幅であり、原告はその左側を歩行していたものであつて、道路交通取締法第三条によればこのような道路を歩行するものは道路の右側を通行(いわゆる対面交通)すべく定められていることは当裁判所に顕著な事実であるけれども、本件事故現場には西牧氷店所有のオート三輪車が道路左端に駐車しており、その左側は小溝であつて右小溝から西牧氷店先まで約三米の間は道路拡張工事中で一般の通行は困難な状況であつたことは前記検証の結果ならびに原告本人の供述により認め得るところであるから、右オート三輪車の後方を歩行する者がその右側に出てくることは容易に推測できる筈であるのに被告中屋は前方のマンホールに気をとられて、原告が歩行していることにも気付かず、漫然と進行してこれに衝突したものであり、同被告が前方注視義務を完全に履行し、減速措置あるいは進路変更をしていたならば幅のせまいオートバイがたやすく原告を避け得たであろうことは容易に推測し得るところであるから、当裁判所としては原告の受傷に対する被告中屋の過失の比率は原告自身の過失に比して圧倒的に重大であると認めざるを得ず、損害賠償額の算定につき原告の過失を斟酌することは相当でないと考える。

よつて被告等はそれぞれ原告に対し、原告の蒙つた積極的損害五万百円、消極的損害十四万四千四百五十二円および慰藉料十万円、以上合計二十九万四千五百五十二円を支払う義務があるものというべく、原告の本訴請求は、被告等に対し各自右金員およびその申立にしたがいこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和二十八年四月二十四日から支給ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当としてこれを認容し、その余は理由がないので棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法八十九条九十二条、仮執行の宣言について同法百九十六条をそれぞれ適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 田中恒朗)

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